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お知らせ

2017.8.29
倉敷緞通のご紹介

 

倉敷緞通 花瓶敷とテーブルセンター

倉敷周辺は全国的にもイ草の栽培が盛んな地方で、江戸時代から畳表などの製品が作られていました。明治時代には花莚(花ござ)が海外輸出向けに作られアメリカの避暑地の敷物に用いられいましたが、粗製乱造などにより次第に客を失い、昭和の初期には関税障壁もあり不況に陥っていました。その頃、早島町で花莚製造に従事し、また発明家でもあった矢吹貫一郎は、外国人の嗜好に合いそして日本の和洋折衷の建物に合う敷物として金波織というものを考案しました。これが倉敷緞通の前身です。我が国初の西洋近代美術館を作った倉敷紡績二代目社長の大原孫三郎は、晩年には民芸にも深く傾斜していました。その影響で、柳宗悦をはじめ濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功、バーナード・リーチなど多くの民芸運動の実践者たちが度々倉敷を訪れ、指導や彼らの作品展等を行っていました。大原孫三郎の侍医の三橋玉見により昭和7年倉敷で濱田庄司が個展を開いた際、同行していた柳宗悦は金波織を見せられ、それを気に入りその後様々な助言を行いました。柳は当時はまだ無地だけであった緞通に縞柄を加えさせ、その図案は染色家の芹沢銈介に依頼しました。また、自らは倉敷緞通の名付け親にもなっています。【倉敷緞通パンフレットより抜粋】

当店で扱う倉敷緞通は瀧山雄一さんが1人で織っておられるものです。イ草、紙、レーヨンを用いて1枚1枚制作をされています。花瓶敷から3畳の大きさまでがあり、店頭に無いものは注文をお受け致します。 

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